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カポエィラの復活
 20世紀初め、 カポエィラは法律で禁止されていたものの、 観光客用のアクロバット的なストリートパフォーマンスとしても生き続けていました。
 自由への切望、戦いの精神、生きる希望、故郷への思い、カポエィラを作った精神や目的は失われつつあり、 単なる見せ物になっていきました。
 その状況に心を痛めていた一人のカポエィリスタがいた。 マヌエウ・ドス・ヘイス・マシャード、通称 "メストレ・ビンバ" と呼ばれるバイーアでその名を知られた一人の男が、 カポエィラを復活させようと立ち上がったのです。
 長年リングでカポエィリスタとして闘っていたことと、軍隊に入隊していたこともあるその経験を生かし、 専門家たちの意見を取り入れながら、攻撃性を高め、格闘技としての要素を取り入れ、 カポエィラは単なる奴隷やごろつきが適当に練習するものではなく、 決められた練習のもとで誰もが学べ、正確性を加え、誰もが認められるものを目指しました。 彼は決められた攻防、練習法と型を作り、新しいカポエィラを確立しましたが、他のカポエィリスタに彼の考え方は受け入れられず、 新しい要素を取り入れる姿勢は反対に 「カポエィリスタの精神を汚している」、「他の格闘技の真似をしているだけだ」 と非難されてしまいました。しかし、彼が確立したカポエィラは、 今なお多くのカポエィリスタに受け継がれる "カポエィラ・ヘジォナウ" と呼ばれるスタイルとして偉大な功績を残しました。



 当時、ペルナンブコ、アラゴアス、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロなどの都市にも、カポエィリスタは広がりつつありましたが、 カポエィラの中心はやはりバイーアにありました。そのバイーアから、今まで多くの素晴らしいカポエィリスタが生まれました。 その中の一人、ヴィセンチ・フェヘイロ・パスチーニャ、通称 "メストレ・パスチーニャ" がいます。彼は、植民地時代に奴隷小屋で作られた最も純粋で伝統的なカポエィラを伝承した "カポエィラ・アンゴーラの父" として、今なお多くのカポエィリスタに崇拝されています。
 当時の奴隷小屋で訓練されたカポエィラに関する記述などは一切残されておらず、 それらは全て身体を通じ、口頭と歌により伝承されてきました。 メストレ・パスチーニャの目指したカポエィラは、目に見える力を一切使わず、 相手を錯乱させるようなゆっくりとした魔性の動き(マンジンガ)と、素早い攻撃性を加え、 無駄な力を使わない身体と精神との力のバランスを調和させたものでした。 彼は奴隷であったカポエィリスタ、ベンチーニョからカポエィラを教わり、彼がアフリカのアンゴーラ出身であったことから後にこのスタイルは "カポエィラ・アンゴーラ" と呼ばれるようになりました。
 奴隷制度は終わり、自由のために戦う必要のなくなったブラジルで、彼はカポエィラを格闘技ではなく、アフリカの伝統、 文化、歴史を表現した伝統的な武術、哲学の一つとして形付けました。さらに、彼はカポエィラが生まれた歴史的な背景、 黒人奴隷たちの思いとその精神を多くの人に伝え、ブラジルの教育機関や文化機関にその価値を認められるようになりました。 しかし、カポエィラ・アンゴーラの父としてメストレ・パスチーニャのみが重要な存在として存在するのではなく、 彼を始め、その他にたくさんの有名なカポエィリスタ、メストレが存在し、彼らの努力があっていまのカポエィラが存在しています。




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