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キロンボ 自由の王国 17世紀、ブラジル植民地化がポルトガルからオランダに移り(1630年)、 その国内の動乱を利用し、農園主もとから逃亡した者たちが森の奥深くに黒人奴隷の集落(キロンボ)を形成しはじめます。 その各地に存在した集落のなかでも一番有名なのが、 ブラジル北東部のペルナンブーコの "Quilombo dos Palmares:キロンボ ドス パルマーレス" です。この集落では述べ2万人以上もの黒人奴隷たちがポルトガル人から100年近くもの間、闘い、集落を守り、独立して存在しました。 そこでキロンボの王として君臨し、その勇敢さと利口さによる統治、闘うリーダーとして知られるのが "Zumbi:ズンビ" です。 たくさんの者が彼をはじめ自分の自由を夢みて信じたのです。キロンボの中では法律までもがつくられ、 秩序と制御のとれたものでした。ブラジルの各地で逃亡した黒人奴隷による集落が数々確認されておりますが、 その中で一番大きかったものがズンビの率いるキロンボ ドス パルマーレスになります。 その次に大きかった集落(キロンボ)はサントスのジャバケーラで約1万人の逃亡者が生活をしていたとされています。 キロンボは白人たちが到底見つけられないような森の奥深くに存在し、いくつもの出入り口のある所でした。 1645年にはオランダ軍がキロンボを破壊しようと軍を派遣しましたが、集落が見つからずに撤退しています。 その後、再びさらなる人数でヘシフェより遠征隊を派遣し、キロンボを発見したものの、 遠征隊の思っていたものをはるかに上回る規模の集落が発見され、またもや撤退したとされています。 キロンボの形成は、各集落にそれぞれリーダーがおり、彼らが自分の村を統治していました。 法律のようなものも存在し、殺人、盗み、逃亡者は死刑にされていました。自分たちの村落を防衛するための 各周辺の見張り役も立てられていました。 1675年、マヌエル・ロペスの遠征隊によると、大変大きな集落を発見し、2000軒もの家屋が確認されています。 1694年のキロンボの崩壊とともにその歴史の幕を閉じました。ズンビは翌年の1695年11月20日に暗殺されており、 今なお彼は伝説の人物として奉られ、ブラジルでは11月20日を国民の休日「パルマレス ズンビの日」として定められています。 当時のキロンボでは、鉄のような武器と呼ばれるようなものを手に入れる手段はほとんどなく、 毎日が生か死かの緊迫した生活の中で、黒人たちにはカポエィラという身を守る手段がとても大事でした。 そこでカポエィラが訓練され、大きな威力が発揮されたのです。 Home 質問・意見などは: info@caisdomar.net
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