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ブラジルの発見
 15世紀からの大航海時代、 ヨーロッパの冒険家たちは、新しい土地を求めインド・東アジア・アメリカ大陸へと進出していました。 その中でも、ポルトガル人は偉大な航海者としてその名をほしいままにしていました。 1542年、彼らは航海中に嵐に見舞われ、偶然、黄金の国 "ジパング と噂されていた日本に漂着しました。 当時の日本は戦国時代、日本人にとってポルトガル人は、初めて見る西洋からの訪問者でした。 ポルトガル人は、まだ刀でしか戦を知らなかった武士たちに鉄砲の使い方を教え、ヨーロッパの宗教であるカトリック教を日本に普及しました。 彼らの来航は、日本の歴史を変えてしまう程の大きな影響を後に残しました。

 1500年4月22日、ポルトガルの冒険家たちは、巨大な富を母国にもたらすことになる大発見をしました。 新大陸を求め航海を続けていたカブラル一行は、誰も足を踏み入れたことがない未知の大陸を発見しました。 それが日本の地球の反対側に位置し、後に "ブラジル" と呼ばれるようになる土地でした。
 当時ブラジルには、 "インディオ" と呼ばれる原住民しか生活していませんでした。 インディオたちは、魚を捕まえたり、狩りをして生きるための糧を全て自然から得ていました。 文明と呼ばれるものとはかけ離れた生活をしていた彼らは、別の世界が存在することも、他に人間がいることさえも知りませんでした。 ポルトガル人の到来は、彼らには全く理解のできない出来事でした。彼らの武器と呼べるものは、石器時代のものと似た 狩りをするための原始的な道具しかなく、当時、世界の文明の最先端にいたポルトガル人にとって、 インディオを制圧し、富を収奪することは簡単なことでした。

 彼らの土地:ブラジルには、ポルトガル人の予想をはるかに上回る計り知れないあらゆる資源が眠っていました。 ブラジルの東海岸沿いには、"※1)パウ・ブラジル" と呼ばれる染色に使われる木が豊富に茂る森があり、 当時のヨーロッパで、そのパウ・ブラジルを使って染められた生地はとても価値のあるものでした。
 その後、多くの開拓者たちがブラジルに到着し、新大陸を次々と開拓していきました。 彼らは、豊富な金、ダイヤモンドやエメラルドなどの宝石の鉱山も発見しました。 ポルトガルは、それら全ての資源を他のヨーロッパ諸国に輸出し、かつてない栄光の時代を築き上げました。




※1) パウ・ブラジル: 赤色染料の原料となる植物。後にブラジルという国名の由来となる。
 ポルトガル人によってそのほとんどが伐採され、現在この木はブラジルにほとんど残っておらず、
 絶滅寸前の危機にあります。

上の写真はリオの植物園(Jardim Botanico/Rio de Janeiro)にて2007年3月に撮影しました。
写真の説明によると、
「ブラジルの国家木、パウ・ブラジルは30メートルの高さまで成長し、香り高い黄色い花を9月〜12月にかけて咲かせます。 パウ・ブラジルはブラジルの植民地化において大事な役割を占めます。 現在のリオ・デ・ジェネイロ、バイーア、ペルナンブーコ州などのブラジル北東部の海岸線沿いに豊富に分布していました。 その赤い木材は商業目的の価値を持ち、過度な伐採と競争、ブラジルにやってくる探検家同士の抗争までもを引き起こした。 町、船の建築、バイオリンの弓などに使用され、特に染料として使われる。今日ではこの木はほぼ絶滅状態で、大西森林としての代表といえます。」




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